SINCE 1993(10)

2018/08/31
オガサワラヒロユキ

高校3年生になって前述の豊METALと言うバンドは、なぜか「豊METAL(右向きの▲)JAPAN」と改名した。海外に同名のバンドがいた訳でもないのに、だ。

ターゲットは6月の文化祭。普通であれば、高校で演奏するのはこれが最後のチャンス。(改めて書くが、僕はもう1回演奏する機会があった)確か以下の曲をやったと思う。メタルなのか・・・?、と言うツッコミはなしで。

・ROCKET DIVE/hide with Spread Beaver ※hideの急逝直後だった。

・All I Want/The Offspring

・Master Of Puppets/Metallica

・Fuel/Metallica

・X/X-Japan

確かYoung Guitarに”Master Of Puppets”のイントロのリフは全てダウンピッキングで弾かないとノリが出ない、と書いていたので、何とか形になるまで練習した。相方のギタリスト西山くんはそれが出来ずに、後にギターをやめてしまった。メタルの道は厳しいのである。FenderのストラトとSobbatのディストーションだけでメタルからメロコアまで。高校の同級生や後輩にXジャンプもさせた。僕のギターのスキルは、少なくとも自分の高校の中では高い方だった、と思う。

我々「豊METAL(右向きの▲)JAPAN」の他にもいくつかのバンドが出ていた。その中にJUDY & MARYのコピーバンドも出ていて、そこのギタリスト(すぐると言う男だった)が高校生のくせにラック式エフェクターを使っていて、テレキャスターで完コピか、と言うくらい素晴らしいプレイをしていた。僕はJ-POPは全く弾けない(前年のミスチルのトラウマもある)ので、大いにコンプレックスを抱きながら見ていたが、そんな想いを知ってか知らずか、すぐるが終演後、夕焼け空の下で「お前がギターヒーローや」と言ってきた。(実話)何となく嬉しい気持ちになった。

そして、文化祭が幕を閉じると「豊METAL(右向きの▲)JAPAN」一同、下級生の女子に囲まれ写真を撮ってくださいの時間。18歳。思春期真っただ中である。正直な話、来たコレ!と思った。数日後、バンドのリーダーでもある豊丸(B)が下級生の羊のような女の子に告白される。確かかわいい子だった気がするのだが、豊丸はあっさりとフッてしまい、その羊のような女の子はショックゆえか、急に髪の毛を緑色に染めると言う奇怪な行動を取り、僕らは戦慄を覚えた。そして、来たコレ!と思ったも僕には何も起きることはなく、これまでと特に変わらない日常が続いていくのみだった。

さて、話は変わって。学校の外でやっていたバンド、SUCKは同時期に地元有数のライブハウス、枚方ブロウダウン(現在は閉店)に初出演。「ひろちゃんのロックンロールサーカス」とかそんなタイトルのイベントだった。僕らはオリジナル数曲とFoo Fightersのカバーなんかをしたと思う。貸しホールではなく、ライブハウスは音がいいなあ!と感動したのを覚えている。そして、確か夏頃に、桜川スターダイナーと言うライブハウスに出演したような記憶がある。思えばこれが大阪市内での初ライブだったのか。

高校3年生の夏。大学進学に向けて、夏期講習に行き始めたり本格的に受験勉強が始まろうとしていた。一旦音楽のことは置いておいて、となるところが僕はそうはいかなかったのだった。

~続く~