HAKUCHIZを塗りつぶすツアー完結に寄せて

2017/08/30
オガサワラヒロユキ

9/2 富山、9/3金沢で47都道府県でライブするという「HAKUCHIZを塗りつぶすツアー」が完結する。
これは自分にとってライフワークのようなものであり、完結にあたり、そもそも何故こんなことをやろうと思ったのか、から振り返ってみようと思う。

プロフィールの「活動の歴史」にも書いているけど、弾き語りで活動を始めたのは当時のバンドメンバーが辞めてしまったからで、自分からソロでやりたい!と強い意志があった訳ではない。でも、ソロ活動を一時的なものではなく、続けて行こうと考えたのは、ある人の影響があったから。

それは、近藤智洋さんの存在。

近藤さんは2005年までPEALOUTと言うバンドをされていて、PEALOUTはあのフジロックにも5回出演している高校生の時から憧れのバンドだった。ひょんなことからお知り合いになりイベントに出てもらったり、何度も共演させて頂いた。僕は、死ぬまで音楽をやめたくなかったし、就職した身では、転勤等もあり得るし一生音楽を続けるには一人で音楽を完結できるスキルが必要だと考えていた。そこで当時、近藤さんがソロ活動を始めていたのもあり、いい機会だと思って自分も続けてみた。(これも書いているけど、当時、近藤さんは「コンドウトモヒロ」と名乗っていて、僕の名前がカタカナなのはそこに由来する。)

そんな近藤さんがこんなことを言っていた。(引用するのもアレなので、リンクの記事読んでみて下さい)
http://smashingmag.com/int/int08/080609kondo_wacchy.html

この記事が2008年。1stミニアルバム”HAKUCHIZ”を出したのが2009年。この記事の内容に触発されて、僕は全都道府県でライブすることを何となく決めた。そう、この時はひとつでも多くの場所に行けたらいいな、と言う何となくやろうという感じだったように思う。中学生の頃、教科書に出ていた松尾芭蕉の書いた「漂泊の思ひ」と言う文章。(月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり~ってやつ。暗記させられた。)を読んで、子供ながらにかっこいいと思ってた。住んでいる家を譲る、とかもちろんしてないけど、ギターを担いで旅をする、と言う行為にロマンを感じるようなそういう素養はあったのだと思う。

日本全国のライブハウスをネットで調べて、できそうなところを探していく。メールを送って、返事が返ってこないと電話してライブをやりたいと掛け合う。時には、その日空いてないなんてことも言われるので、「じゃ、近くでできそうなところあったら教えて下さい!」なんて食い下がったりもした。

このツアーを始めて気付いた。知らない町、出会う人は全て初対面、武器は自分の音楽しかない、と言う状況の中で誰かと繋がれた時の達成感と言うか、快感と言うか、それは何物にも代えがたいものだった。そこで、「何となく」から完全にスイッチが入ったのだと思う。全都道府県でライブすることを決めて、それが終わるまで約8年かかった。これはやっている人もそれなりの数いるし、気合いの入った人なら普通もっと早くできるものだと思うから、そんなに自慢できることでもないかもしれない。だけど、(あと数日あるけど)これをやり切れたと言うのは、自分が生きてきて数少ない、何かを達成したことだとは思っている。1回しか行っていない場所の方が多いし、うまくいかなかった日、さらに言うとお客さんが1人もいない日もあったけど。

僕は、ただ単に町を眺めていたり、歩いたりするのが好きだ。観光地に行かなくても、例えば、その町で話されている言葉、走っている電車、女子高生のスカートの長さ、気温や湿度、におい、食べ物の味付け、どこかに独特なものがあり、その何気ない部分を感じるのが好きだ。旅をしていると、(それはあくまで普通に観光で行った時と比べて、と言うことだけど)少しだけその町の一員になれるような気がする。そんな仮想現実のような世界を感じること、そして、それがただの仮想から少しだけリアルに近づいたと感じる瞬間がある。それは、家に帰るまでの短い間しか感じられないけど、その感覚を感じるために色んな町へ行っていたのかもしれない。

前も書いたと思うけど、亡くなったDai-chang(”HAKUCHIZ”をリリースしてくれた人)は、「全都道府県が終わったら、次は全部の町に行ったらいい」と冗談を言っていた。これが終わったら1度しか行けていない町にもう一度行ったり、少しずつ塗りつぶした色を濃くしていきたいと思う。そういう意味では、この活動がライフワークだと言うことは、音楽を続けている限りきっと変わらないと思う。