SINCE 1993(7)

2016/10/07
オガサワラヒロユキ

SUCKの初ライブは、惨憺たる結果であった。そして、たった1回のライブでクビにされた、いもこの代わりに新ボーカル吉村が入ることになった。吉村はドラマーてつこの小学校だか、中学校の同級生だった。高校生にしてクリストファー・ネメスやトライベンティを身に着ける歌舞伎者であった。(当時そういう所謂モード系が流行っていた。)

僕は生来のひねくれた気質からか、生真面目ゆえか、自分の音楽性においてメロコアに舵を切ることに抵抗感があった。世の中に媚びている気がしたからだ。そこでスキマ音楽を探すようになる。パンクのテイストとヘヴィメタルのテイストが絶妙なバランスでミックスされているようなもの。

例えばThe WiLDHEARTS。しかしながら、このバンドは中学生の時から抜群のギタースキルを持つ富田がコピーバンドを組んでおり、既に喝采を浴びていた。だめだ。さらに深く掘らなければ。

そして、ついに見つけたのがこれ。聴いた瞬間これだ、と思った。THE ALMIGHTY。スコットランドのバンドで、その昔レディングフェスティバルでMETALLICAを食ったとか何とか。(”CRANK”と言うアルバムのライナーノーツに書いてた気がする。)

それからフィンランドのHybrid Childrenなんてバンドもコピーした。ここまでいくと、いかがなものかとも思う。

新Vo吉村加入後、SUCK2回目のライブ(なぜかこの頃MUSTARDという名前に一時改名したような記憶もある。)は、枚方市駅から京阪交野線で一駅、宮之阪駅にあるリセというの名前の貸しホールにて。主催は地元高校に通う誰か。SUCKのベーシスト有馬と同級の人たち。確か1997年、高校2年生の夏頃だった。ゆるい時代だったのだと思う。僕らは高校生のくせに背伸びして(むせながら)タバコを吸っていたし、クラウドサーフの真似事みたいなこともしていた。

新加入の吉村は、前任のいもこに比べると抜群に歌える男ではあったが、ライブが盛り上がった記憶がない。なにぶん選んだ曲がマニアック過ぎたこと、そして何よりやはり自分の性根は日陰者なのだ。幾分改善したものの、僕は地元のバンドマン達に比べると相変わらず冴えない人間であった。しかし、それでも自身の高校以外でもコミュニティがあると言うのは、なんとなく誇らしい気持ちにはなった。それは、「俺こういうイケてる友達たくさんおるし~」(実際は友達でもなんでもない)と言うようなつまらない虚勢だったのだが。

高校2年生と言うのは、人生で一番楽しい時期じゃないだろうか。悩むことも初めてのことが多くて、しかも人生を決するような重大じゃないことが多い。

そういえば、時系列的には少し過去に戻るが、人生で初めて彼女ができた。人と付き合うと言うことは、選ばれた人間だけが成し遂げられることだと思っていたのに。が、文化祭の打ち上げ(ロッジを貸し切ってそこで泊まりで打ち上げをする、しかもお酒も飲むと言うなかなかにフリーダムなもの)で、気づいたら彼女と僕の友達が同じ布団で寝ている、と言う高校生にとっては一大事件があり、ギクシャクしてすぐに別れてしまった。今思えば、別にやましいことをしていた訳ではなく、たぶん酔っぱらって寝てしまって誰かが布団をかけた、とかそんな話だと思うんだけど。その光景を目にした瞬間、あまりの衝撃にウォークマンに入れていたHi-Standardを爆音で聴きながら「見てない見てない、見てないんだ・・・」と心の中で唱えていたのを覚えている。

そんな青春真っ只中、時期を同じくして、前述した高校の中で組んでいた「4月17日」と言うバンドは、男女混成バンドにありがちな理由で自然消滅することになる。そして、時は経ち高校2年生の秋、僕は高校の中でまたバンドに誘われた。

その名を豊METAL(トヨメタル)と言う。そう、名前から分かるとおり、ヘヴィメタルバンドであった。

~つづく~