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ヘヴィメタルに染まった中学生活は続く。
エレキギターで曲を弾くするためにあると助かるもの。「タブ譜」である。「タブ譜」とは要は楽譜なのだが、音符で書いているのではなく何弦の何フレットを押さえればいいか、書いてある譜面のこと。主に、楽器屋で売っているバンドスコアやギター雑誌等に載っているのだが、徐々にマニアックな音楽を聴くようになってくると、タブ譜がない曲が出てくる。タブ譜はないが弾きたい!どうすればいいか。耳で音を取ってコピーする、いわゆる耳コピである。
HR/HMと言う音楽は、モノによっては非常に耳コピが難しい。(主な理由としてはギターソロが鬼のように速いことが挙げられる。)学校の後は、日々耳コピする日が続く。(僕は卓球部だったが、よくさぼっていた。)耳コピした内容は、4本線が書かれている英語のノートに手書きで2本線を追加して(これで6弦が表現できる)書いていく。後で正式なバンドスコアが出たものと答え合わせをするように突き合せるのも楽しかった。
そんなディープな状態になると、「Vandenberg(後にWHITESNAKEで名を馳せるAdrian Vandenberg率いるオランダのヘヴィメタルバンド)の1stは半音下げだから」と言う訳の分からない会話であるとか、ベタなところでは「ギタリスト誰が好きなん?」等と言う会話が日常的に交わされるようになった。僕はGeorge Lynch(DOKKEN/Lynch Mob等)やJohn Sykes(Thin Lizzy/WHITESNAKE/Blue Murder等)が好きだと答えていた。二人とも、テクニックは勿論のこと、他の誰にも真似の出来ない独特なプレイをするギタリストだ。例えば、あまりうまくない奴が「Randy Rhodes(Ozzy Osbourne/Quiet Riot)が好き」とか言った日には、「xxのくせにRandy Rhodes好きとか・・・」とバカにされると言う、校内のヘヴィメタル汚染は進み、ある種異様な状態になっていた。
「巨匠」George Lynchによる名インスト。
当時の印象的な作品についても少し書いてみよう。前回触れた伊藤政則氏によるMUSIC GUMBO TUESDAYにて大プッシュされていたバンド、デンマークより現れた3ピース「Dizzy Mizz Lizzy」のデビューアルバム。このバンドはHR/HM的なダイナミズムを持ちながら、当時の流行であったグランジ、オルタナティヴ的な要素もあり、今聴いてもバランス感覚に秀でた、いいバンドだったと思う。
このアルバムを買った時のことをよく覚えている。僕が住んでいたところから、自転車で15分くらい行った所にニチイ(今で言うサティ)があった。マニアックな作品だったので、おそらく入荷はないと思ってそこのCDショップに予約に行った。オガサワラ:「Dizzy Mizz Lizzyのアルバム予約したいんですけど」店員:「え?ディジー・・・??」みたいなやり取りの末、ようやく予約できた。が、アルバム発売の前日に阪神大震災が起こったのである。余震の起こる状況だったこともあり、アルバム発売当日は午前中で授業が終わってすぐに買いに行った。当時は、学校が早く終わってラッキーなんて暢気に思っていたけど・・・。このアルバムに収録されている「Glory」と言う曲が人気で、中学でも流行っていた。
時は流れ、3年生に進級。卒業も近くなってきた。中学では卒業ライブが企画されていた。ギターをやっているからと言って、もてるわけでもなく僕は相変わらずではあったが、密かに結構練習していたので、出演できることになった。全てコピーバンドだったのだが、確か3バンドか4バンド出ていたと思う。僕が参加したのは、割とポップ寄りの曲をやるバンドだった。BON JOVI、MR.BIG、Eaglesなんかをやったと思う。他に出ていたのは、Black Sabbath等をコピーするギャルバン(中学生の女子がBlack Sabbathをコピー。・・・狂ってる。)、Ozzy OsbourneやAC/DCなんかをコピーする一番うまくて、華のあるバンド。(ギタリストは中学生にしてMr.Crowleyのギターソロを完コピ・・・。狂ってる。)会場はライブハウスではなく、枚方市駅の近くにあるイベントホールのような場所だったと記憶している。今思えば、機材の調達は一体どうやっていたのだろう。
Eaglesのこの曲をやったと思う。
そんな卒業ライブに関しては、ライブの内容よりも何よりも記憶に残っていることがある。
僕らのバンドは、1曲目にBON JOVIの「I’ll Be There For You」を演奏した。そして、どういう経緯か忘れたが、その曲だけ僕が歌うことになっていた。セッティングしていると、客席最前にいた女子(学年でも人気のあるかわいい子だった。南部ってやつ。)が、こうつぶやいたのである。
「え?小笠原が歌うん?」と。
なんとも情けない気持ちになった。その言葉を聞いた人はほとんどいないと思うし、そして、きっと言葉を発した本人でさえ、そのことを覚えていないだろう。しかしながら、だ。おそらく中学2年生の初ライブでもらった拍手と、この時に受けた屈辱(大袈裟だけど)、この2つが僕が今まで音楽を続けている原動力になっている。てめえ、今に見返してやるから見とけ、そう心に誓って僕は中学校を卒業した。
~つづく~