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2013/10/24
オガサワラヒロユキ

中学2年生になって、周りでギターをやっていると言う人が現れ始める。小学生から運動が出来て、クラスの人気者で、男前で、中学に入るとちょっとヤンチャで・・・と言った自分とは正反対な人が戯れで始めたと言うパターンが多く、ほとんどの人はあっさりやめてしまったが。以前、触れたように僕は1年程前にギターを始めていたのだが、練習していなかった上にあまりに目立たない存在だったため、そんなことを誰かに言うきっかけもなかった。そんな折、タナキューがエレキギターを買ったと言う。それをきっかけにエレキが欲しくなった。

中学生なので当然働いてもいない。つまりは親におねだりするしかない。と、ベンチャーズ好きの父親はあっさりと買ってくれた。(本当に恵まれていたのだと思う。)梅田にあったKEYと言う楽器店でIbanezの24フレットもあるエレキギター。(タナキューの色違いで、ひとつグレードの高いギターと言う今思えば、いやがらせのようなことをしたと反省・・・。)またも教則本を買う。しかし、今度はエレキの教則本である。課題曲は、VAN HALENの「You Really Got Me」、Ozzy Osbourneの「S.A.T.O」、Deep Purpleの「Burn」であった。VAN HALENで初めてライトハンド奏法と言うものを知る。よくピロピロやっていたものだ。中学校ではタナキューとよくギターの話をしていた。

その頃、大阪を代表するFM局、FM802ではMUSIC GUMBOと言う番組が放送されており、毎週火曜日はマサ・イトーこと、伊藤政則氏がパーソナリティを担当していた。「ハイ、アイムジャンバンジャヴィ、○△×・・・、マサ・イトーズ、ミューズィックガンボチューズデー」と、Jon Bon Joviがオープニングでコメントしたり、さすがはメタル・ゴッドのセーソク氏、何とも豪華な番組であった。2時間番組で、僕は毎週120分テープに録音し、1週間かけてじっくり聴く、そしてオンエアされた曲を全てノートに記録し、気になった曲は、近所のレンタルCD屋に借りに行く。その中で音楽(HR/HM)のボキャブラリーを養うと共に、日々ギターを練習していたと言うそんな極めてインドアで根暗な少年であった。

ギターが少しずつうまくなって来た頃、中学校では音楽の先生が産休を取ることになった。代わりの先生として赴任してきたのは内藤先生(女性)と言う恐らく20代半ばの先生だった。

「方法はなんでもいいから音楽で表現をしてみなさい。」

内藤先生は授業でそんな課題を出した。それは歌でもいいし、リコーダーでもいいし、もちろんギターでもいいから、何かの手段で音楽の表現をする、と言う課題だった。

同じクラスにはもう一人樋渡と言うベースをやっている男がいた。彼は超絶に男前で学年でも人気者であった。つまり、僕は普段話すことなどない存在だったのだが「小笠原、ギターやってんねやろ」となぜかタナキューと樋渡と僕、3人で音楽の課題をすることになった。演奏することになったのはMR.BIGの「To Be With You」。(と、僕は参加しなかったがBUCK-TICKの「Jupiter」)

3人で練習する中で僕はひとつのことに気づいた。不思議なもので、音楽の話なら学年の人気者とも対等に話が出来る(ような気がする)と言うこと。何度も書いているように、目立たない存在だった僕にとってそれは大きな発見だった。

本番の日、エレキギターを背負って学校に向かった。それは、中学生にとっては非日常的な光景だったのだろう。同じように学校に向かう人達が自分を見ている。こんな風に注目を浴びることはこれまでになかったことだった。思い返せば初めての「ライブ」であった。演奏している最中のことはよく覚えていない。ただ、終わった後にものすごく大きな拍手をもらったことをはっきりと覚えている。それは、今まで味わったことのない快感だった。

ちなみに、別のクラスではこの課題に対してHELLOWEENの「Eagle Fly Free」をエレキ2本とベースのみで演奏すると言う猛者がいた。うちの中学は次第にメタルに汚染されていった。

~つづく~