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2013/10/15
オガサワラヒロユキ

中学2年生に進級。「中二病」と言う言葉をよく聞くが、まさにその中2になったわけだ。とあるサイトによると、「中二病」の代表的症状は下記の通りらしい。

・同世代にはあまり知名度がないマイナー歌手や音楽ジャンルを聴き始める
 →あたり。まさにこの後の話。
・親に対しプライバシーを主張しだす
 →はずれ。一人っ子でもともと自分の部屋があった。
・「経済」や「歴史認識」について持論を語りだす。そして日本はダメだというところで落ち着く
 →はずれ。歴史は好きだったけど、持論などなかった。
・三島由紀夫や太宰治その他の作家・作品について文学論を熱く語りだす
 →はずれ。そんなに難しい本読んでなかった。
・自分をキャラ付けして本来とは違う振る舞いをしだす
 →キャラ付けとまではいかないまでも、自分が不遇の天才だと思っていた節がある。(後に勘違いと気づく)

話がそれた。そんな中学2年生。運命的な出会いが待っていた。同じクラスになった田中(あだ名をタナキューと言う)との出会い。彼とは今でも仲がよくたまに飲みに行くし、メールのやりとりもする。数少ない親友と呼べる男。彼には洋楽に詳しいお兄さんがいて、彼自身も洋楽に詳しかった。何かのきっかけで、僕の父親が持っていたマライア・キャリーのアルバムと、彼が好きなBON JOVIのアルバムを貸し借りしようということになった。当時の僕はBON JOVIと言う名前すら知らなかったのだが。(BON JOVIを本当にそう呼ぶかは置いておいて、所謂「ハードロック/ヘヴィメタル」との出会いであった。)

貸し借りした日、確か土曜日だったか何かで午前中で授業が終わったのだと思う。昼頃、家に帰ってくると家には誰もいなかった。タナキューに借りたBON JOVIの「Slippery When Wet」(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)と言うアルバム。居間のCDプレイヤーに入れて再生ボタンを押した。ちっともピンと来ない。シャカシャカしたずいぶんうるさい音楽だな、と思った。

曲は進み、4曲目の「Social Disease」と言う曲に。いきなり女性の喘ぎ声が聞こえ、僕は慌てて停止ボタンを押した。なんだ、これは。親が家にいなくてよかった。それから、そのアルバムを聴くことはなかった。

<再生注意>

そして、その年の5月、奈良の東大寺で「あおによし」と言う今で言うフェスのようなイベントが開催された。出演は、Bob Dylan、Joni Mitchell、INXS、X-JAPANなど。その中にBON JOVI(正確にはJon Bon JoviとRitchie Samboraのみ)もいた。その模様がBSで放送されることを知る。我が家はBSが映らなかったので親戚のおばさんに録画を頼んだ。そのビデオのBON JOVIを見て僕はかっこいい!と思ったのだ。

そのライブでは名曲「Livin’ On A Prayer」のアコースティックバージョンを演奏していて、そのギターソロにしびれた。こんな風に弾けたらいいなって思った。気づいたら僕は眠っていたギターを引っ張り出して来ていた。ビデオを見て、どの辺りをおさえているかスローモーションで確認しながら同じ音が出た!って喜んだりしていた。(しかし、YouTubeって何でもあるね。)

タナキューはこの映像を見て、「この時のBON JOVIあんまりやる気ないな」と訳知り顔で言った。(こういうのはもしかしたら中二病の一種かもしれない)僕がこんなにかっこいいと思っているのに、だ。ロックは奥が深い。ロックに少し目覚めた瞬間である。

~つづく~