Since 1993(5)

2013/11/11
オガサワラヒロユキ

高校に入学。進学校だったので、同じ中学から入学した人は10人くらいだった。つまり、過去の自分を知る人間はほとんどいない。僕はこう思った。「人生やり直すなら今や」と。

5月には人生で初めてライブを見に行った。今はなき阪急西宮球場で開催されたBON JOVIの来日公演。メンバーは米粒ほどの大きさにしか見えなかったが感激した。枚方から西宮と言う距離も手伝って少し大人になったような気がした。

高校1年生の2学期に入った頃、高校の中でバンドを組もうと言う話になった。2学期の終業式後に校内で開催される「ロクフェス」と言うバンドイベントに出演することを目標に。一緒にバンドを組むことになった、まさこという女の子がいた。彼女はSpiral Lifeが大好きで色んなCDを借りた。AIR(車谷浩司)。(後に、山形のフェスでステージは違うものの共演?した時は感慨深かった。)

Scudelia Electro。Scudelia Electroの寺田康彦さんは、”TONIGHT IS THE NIGHT”のエンジニアをやってくれた高原さんの師匠らしい。

他にはthee michelle gun elephant等。まだまだメタルが好きだった僕はあまり理解できなかったけれど、AIRなんかはNIRVANAっぽい曲(と言うかオマージュ?と言うかパクリ?)もあって興味深かった。そう、後に大好きになるNIRVANA。実は中学生の時、既に出会っていた。が、当時は「ほぼギターソロがない」「PVが怖い」(「Lithium」のPVでKurt Cobainがアンプに頭を叩きつけている光景は中学生にとってはまるでホラーだった)と言う理由であまり興味がなかったのだった。

バンド結成に話を戻す。ボーカルと僕が同じ誕生日だったので、2人の誕生日から取って「4月17日」と言うバンド名になった。そして、「4月17日」ではGLAYと The Yellow Monkeyのコピーをすることになった。(奥田民生もやったかもしれない。)正直言って当時の僕には全くもって受け入れられない音楽だった。邦楽なんてクソ(ただし、LOUDNESS、VOW WOW、OUTRAGE等、英詞で活動している日本のヘヴィメタルは別)だと思っていた。要するに典型的な洋楽かぶれであった。が、一方で、友達とワイワイやってなんとなく楽しいしまあいいかとも思っていた。この辺りが若さゆえの柔軟性。練習は枚方公園駅(枚方パークがあるところ)近くの青少年センターにあるスタジオで。機材はしょぼいがタダだったか、激安だったか。

そして、このバンドに参加したことが後の僕の運命を大きく変えたのである。それはオリジナル曲を2曲作ったことがきっかけだった。1曲は「ミステリー」と言うHR/HM調の曲(最後の歌詞が「地獄の底からミステリー!」と言う非常に不可解な内容であった。)、もう1曲は「クリスマス」と言うバラード調の曲。曲を作ったのはドラマー。GRAPEVINEみたい。彼はエレクトーンが弾けて、打ち込みのデモテープ(当時はCD-Rなんてなかったから本当にカセットテープだった)みたいなものを作ってきていた。そのオリジナル曲を製作する中で、もしかしたら自分も出来るのではないか、とぼんやり思うようになった。

年末。ロクフェスでのライブは1年生からは唯一の出場、かつオリジナル曲を演奏したと言うことで概ね好評だったような気がする。年が明けて、枚方市駅近くの大東楽器にてカセットMTRがお年玉セールになっていた。何となく曲を作ってみよう、そう思っていた僕はお年玉でそのMTRを購入した。

プレイヤーからソングライターへ、一歩足を踏み出した瞬間だった。

~つづく~